



平成23年 1月23日(日)佐賀県基山総合体育館にて三島★ド根性ノ助先生による柔術&グラップリングセミナーが行われました。主催はパラエストラ中川・9’sMMAさんでした。今回上野さんのご招待でセミナーに参加させてもらいました、この場をお借りしてお礼申し上げます。セミナーは昼の12時〜4時30分まで行われ、序盤は基礎運動・中盤がテクニック・後半は1時間30程マススパーでした。三島先生の技術は実践を元に開発されたオリジナル技が多かったのですが、構造が解りやすく誰もが出来る目からウロコの技術が多かったです、とても参考になりました。先生は小さな質問にも熱心に答え色んなバリエーションや対策も教えてくれました。技術的な事だけでなく
なにより三島先生の人柄に惹かれました。コブラ会の方も皆親切で礼儀正しく楽しい時間を過ごせました。セミナー後半残りの1時間30分はマススパーだったのですが三島先生は指名が多くたて続けにスパーを頼まれ後半足が吊るという事件が起きました!あれだけ続けてやれば・・・と思うのですが三島先生とスパーがやりたいと思う気持ちはよくわかります。先生は嫌な顔ひとつせず、柔術がしたいと言えば柔術衣を着 グラップリングでとお願いされれば衣を脱ぎ大変そうでした。私の方はと申しますと昼ご飯を食べずに夕方まで練習したので後半のマススパーでは2分と持ちませんでした。これは私の判断ミスでして・・・お昼休みが30分程あるかな〜みたいな感覚でいたのですが休みは5分ほどで、みんなセミナーの前に食べて来た用に思います。べっぷもナベさんもクタクタでした・・・ごめんなさい。おかげで後半のスパーは何も出来ず若い方々にやられました。最近の選手は体も大きく技術も高くすごいですね将来が期待されます。今回このようなセミナーに誘って頂き感謝するとともに、この様な団体間の交流や技術交流がもっともっと広がれば格闘技界も底辺が拡大し少しづつ環境も良くなって行くかと思います。皆さんお疲れさまでした。 *追伸 上写真で足関を決められているのは北島さんです。

三島先生のプロフィール
三島☆ド根性ノ助(みしま どこんじょうのすけ)
1972年4月19日
総合格闘家。本名は三島 睦智(みしま よしとみ)。
兵庫県出身。総合格闘技道場コブラ会所属。
総合格闘技だけでなく、テコンドーの試合経験もある。
元DEEPライト級王者、現DEEPフェザー級王者。
来歴 [編集]
1998年1月17日、修斗の藤崎諭戦でプロ総合格闘技デビュー。
2001年8月26日には五味隆典と修斗世界ウェルター級王座決定戦で対戦予定であったが、自身の左脇腹の負傷で中止となった[1]。
2002年5月11日、パンクラス興行でのアマチュア試合パンクラスゲートに本名の三島 睦智名義で出場。安藤雅生と対戦し、三角絞めで一本勝ち。試合出場が決定していた同門の花澤大介の負傷欠場を受けての代理出場となった[2]。この出場がきっかけで修斗とパンクラスの関係悪化が深まった[3]。2002年12月14日には佐藤ルミナに勝利し王座に就いていた五味に挑戦するもTKO負けを喫し、王座獲得に失敗している。
2003年10月5日、PRIDEデビューとなるPRIDE
武士道でハウフ・グレイシーと対戦し、判定負け。
2004年7月19日、PRIDE
武士道 -其の四-でマーカス・アウレリオと対戦し、判定勝ち。
2005年2月12日、DEEPにてDEEP初代ライト級王座を賭けTAISHOと対戦し、判定勝ちで王座を獲得した。11月9日にはREALRHYTHMで中尾受太郎と組んだタッグマッチにおいてハン・スーファンに4分53秒のKO負けを喫した(戦績には未掲載)。このダメージが元で翌年2月5日のDEEP
23で予定されていた防衛戦への出場が不可能になったため、DEEPライト級王座を返上した[4]。
2006年11月18日、UFCデビューとなるUFC
65でジョー・スティーブンソンと対戦し、フロントチョークで敗れる。続いて参戦したUFC Fight Night
9でもケニー・フロリアンにチョークスリーパーで一本負けし、UFCでは2連敗となった。
2007年5月、アブダビコンバット66kg未満級に出場。1回戦でヘナート・ミグリッチオに勝利したものの、2回戦でバレット・ヨシダに敗れた[5]。
2008年5月19日、DEEP 35
IMPACTのDEEPフェザー級タイトルマッチで今成正和と対戦し、2-0の判定勝ちにより第2代DEEPフェザー級王者となった。
2009年8月23日、DEEP 43
IMPACTのDEEPフェザー級王座初防衛戦で大塚隆史と対戦し、0-5の判定負けで王座から陥落した。
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